言葉のクロッキー 掲示板

lesson 10

『言葉のクロッキー』のこれまでの課題で、印象に残ったものと、それによって気づいたことを書け。

また、レッスンによって文章が上達したか、する前とした後で変化があったか、ないかを書け。

1000字以内。もっと短くてもよい。

[ 新規投稿 ]  [ トップページ ]  [ 管理者用 ]




[14] クロッキーの感想
投稿者:TATSUYA  日付:2009/7/20 13:30 
印象に残った課題は、レッスン6と7の『自分以外の誰かになって独白体の文章を書く』というものだった。
このレッスンは普段から周囲の人をよく観察していないと書くことができない。
わたしも非常に苦労した。
毎日かなりの時間を共に過ごしている相手でさえも、その内心を想像するとなると、なかなか考えつかない。
書いてみても薄っぺらで一面的な人間になってしまう。
自分は普段、その人の上っ面しか見ていないのだと痛感した。
『画家であれ小説家であれ、表現する人は観察眼を磨かなければならない』
『他人の気持ちに気づかない人は、自分に執着しているナルシストだ』
という主旨の言葉をどこかで読んだことがある。
作家を目指すものとして、またひとりの社会人として、これら言葉をいつも心の片隅に留めておきたい。
ちなみに文章が上達している実感はいまだ無い。
それが不安だがまだまだ頑張る。
[変更] [削除]

[13] 言葉のクロッキーをはじめて
投稿者:ピノ  日付:2009/1/20 22:51 
わたしは言葉のクロッキーをランダムに書いています。つまり、一番から順番に書いてはいないということです。レッスンHで街の描写をしているときに、書くことに負荷を感じました。また自分が書いた描写を観察していると意味を取りづらい箇所があることに気がつきました。

言葉のクロッキーをはじめてからはじめる前よりも文章を読むことができるようになりました。プロの作家の文章を読んでいると、なるほどそういうふうに表現するのか、と今までは気にならなかったところが気になるようになりました。

また日頃見落としていた風景や人が気になるようになり、自分自身の内部が広がったような気になりました。わたしは言葉のクロッキーと並行して、自分自身に課題を設定するようになりました。たとえば、「自然を四百字以内で描写せよ」といったふうに設定しています。

わたしは物事を自分で難しくする癖がありました。言葉のクロッキーを書き続けるにつれ、自分を客観的に見ることができるようになり、物事をシンプルに捉えることができるようになりました。また、自分自身を見詰めるにつれ、問題点が明確になり、自分で解決することができるようになりました。
[変更] [削除]

[12] これから
投稿者:なかとし  日付:2008/6/18 15:06 
ようやく始めたクロッキー。

一歩踏み出したことが、一週間前と違うとこ。

そして、これから、自分を見つめて、文章も上達。
[変更] [削除]

[11] 課題を振り返って
投稿者:瑛子  日付:2008/6/17 21:26 
言葉のクロッキーは、色々な方向から突いてくるので、自分の弱点把握に有効である。

はじめ三回の両親、自分の性質をそれぞれ書く課題は、普段からよく考えを巡らしていたことなのに、うまく表現できなかった。何が足りないのかまだ未整理の段階なので、ある程度整理できたら再チャレンジしたい。

想像してのモノローグが一番難無く書けた課題。私は小説を全く書かないので、モノローグなんて書けるのか?と思ったが意外にあっさり書けた。(うまいかどうかは別問題)
しかしこれは長年付き合いのあるキャラ立ちした友人を設定したので書きやすかっただけだろう。小説を書く時に人物設定は重要事項なんだ…と門外漢ながら納得した。

一番書いていて面白く、発見があったのはナンセンスの課題。
普段もふと思い付いたことをメモすることはあるが、四百字も書いたのは初めてだった。自分の思考の流れにまかせて書きとめるのは、風か水の流れにまかせているような独特の快感だった。後で自分で読んで脱力するような文だが、この課題が一番自分が出ていると思う。

自分の住んでいる町の描写が私には一番書きにくかった。今住んでいる町が私には合わず、正直好きではないため、ネガティブな表現しか出てこないのだ。
自分が好きになれないものについて表現すると、書き方がフェアではない気がして途中で止まってしまう。自分が受け入れられないものの描写もこれから意識して鍛えなければ。

言葉のクロッキーで文章が上達しているか、正直なところまだ実感は無い。
しかし、これまで自分の文章を読み返しても、漠然と「下手だな」という感想しか持てなかったのだが、言葉のクロッキーによって具体的な弱点が見えてきたことは大きな進歩だと思う。
[変更] [削除]

[10] 振り返ってみて
投稿者:  日付:2008/6/15 23:59 
上達したとは思えない。10回やった程度で上達するはずもない。
毎回、課題に対してさしたる問題意識も持たず、とにかく課題に沿った内容で、且つ与えられた文字数の限度に近い分量を短時間で、というところに重きを置いている。そこに囚われ過ぎているのかも知れない。400字あるのなら250字で終わらせるようなことはできない。そのくせ内容については全く深く考えることは無い。考えていたら30分などあっという間に過ぎてしまう。
改めて特に書きたいものも無いのだと気付く。何か書く必要に迫られたときに、より的確な表現で、より分かりやすく平易な文章を書けるような人でいたい。
かといってクロッキーの段階ではそれ(特に書きたいもの)も求められてはいないようにも思う。
身内のことについてはワークショップなどでよく取り上げることだ。難しいというより面倒だったのはレッスン3。文字数が絶対的に足りなかった。へたくそな溶接のようだ。酷いつぎはぎ状態。
レッスン7は実際に知人がよく言う愚痴のようなものを描いていたら段々腹が立ってきた。
レッスン8の自動手記はパソコンに向かったのが間違い。和紙に筆ペンならもっとそれらしい文が書けたように思う。
レッスン9。不動産広告のような味気ない説明文にせずに、尚且つ的確に街を語るというのは柔らかいような堅いような微妙にマズイ文になりがち。
これを続けたとして少しずつ上達したとしても、センスは別物ではないのだろうか。
[変更] [削除]

[9] 私の変化
投稿者:kazu  日付:2008/6/15 13:25 
印象に残った課題は、Lesson 2 の「自分の父親の性質を書く」である。
これまで、母や弟、姪のことは書いたことがあったが、父のことを書くのは初めてだったから。
父親のことを書くことによって、敬遠しているテーマがあることがわかった。
父とは、子どものころから現在に至るまで、心を通い合った記憶がない。
母が亡くなってからは実家への足も遠のく一方。盆と正月以外に行くことはほとんどない。
書くにあたって、父のことを考えたり、思い起こしたりすること自体が難しかった。

「30分以内、400字以内で書く」ことについては、回を重ねるにつれ、だいぶ慣れてきた。
文章そのものが上達したかと言えば、まだ自覚はできないが、課題によってはふだんの発想とは異なった視点から考えなくてはならいため、その点については広く見たり、考えたりすることができるようになったと思う。
[変更] [削除]

[8] レッスン6以降
投稿者:たたみいわし  日付:2007/11/11 07:38 
レッスンの度に、自分の視野を確認しているようでした。自分が何を見て何を見ないようにしているかがかわりました。すぐに忘れてしまうのですが、、。レッスン6の後くらいから、書いている自分と書いた文章との距離感がつかめてきたように感じました。いままではもう少し近しい距離で、ばしんと文章を叩かれたらわたしも痛いところが、その痛みが少しではありますが薄れてきたようです。これは現実の人間関係にも反映されて、自分の言ったことや行動を他人にどう言われるのか? が怖くてたまらなくて会社にいるとお腹を下すなどの身体症状がありましたが、その怖さが少し薄らいだと同時に体もよくなり症状があまり出なくなりました。印象に残ったレッスンは6、7、8、9、で、す。

レッスン8のナンセンスな文章、わたしは祝詞のようなうめき声のような文章になっていない文章を書きました。その後、自分のこの気分を音にしたらどんな感じなのだろう、街中で聴こえる音はどういう感じがするのか、地下鉄で聞こえる音に自分の体の感じを合わせてみる、、など、書いた後音に敏感になりました。

レッスン9は一番難しかったです。レッスン1、2、5でも感じましたが、いつも当たり前に目の前にあるものがどうしてこうするりと出てこないのだろうととてももどかしくて、書いていて「きつい、、」と初めて思いました。
[変更] [削除]

[7] これって成長?
投稿者:ざ・たっち  日付:2007/7/12 02:10 
初めて投稿したときは自分の書いたことがそのまま他の人の文章と同じ並びにでたことが恥ずかしくて、恥ずかしくて、とにかく削除をしようとしたことを思い出す。
あー、まったくなんてことをしてしまったんだ、だれかが気がついて「なにばかみたいなことかいてんの?」って言われそうで。そもそもネットに自分の文章を出すのが初めてだったのですごく恥ずかしかった。
今は・・・今はその恥ずかしさ、できのよしあし云々より、1週間に1度の課題をとにかくこなそうと、やりきることを主眼にしているように思う。課題を読んで、頭の中でしばらく寝かせ、ドライブをしながら、たまにどんなことを書こうか考えてみたり。しかしなんとも、これだなんてのは浮かばないけど、あっというまに時間は過ぎてもう書かないと遅れると、奮い立たせてパソコンに向かうこのごろ。
文章が上達したかはどうかはよくわからない。けど前より読書する時間が増えた。
あと、自分の文章は他の人と比べると、課題に対してあまり忠実には書いていないんだなと気付く。他の人のものを見ると、もっと課題に忠実で本来こうあるべきなのかと思い知る。つい自分の心地いいと感じるもの書きやすいことを文章にしてしまっているようだ。もっと課題の通りに文章を考えなければと反省しております。
[変更] [削除]

[6] 途中経過
投稿者:こよみ  日付:2007/6/18 22:26 
最も難しかったのは課題8。ナンセンスなことを発想できないような気がして途方に暮れた。思いつくまま書いても、言葉は勝手に連なって意味を持とうとしてしまって、結局連想法のようなものしか書けなかった。
次々と出される課題の中で、今まで自分がいかにものを見ていないかを思い知った。父母、身近な人、部屋、街。書こうとすると、それについて知らないことに呆然とする。必死でいろいろなことを思い出そうとし、部屋を見回し、街の地図を見る。こんなことは、課題を出されなければしなかったと思う。
文章がうまくなったかどうかは謎だ。クロッキーは30分以内で書くことになるので、後から読むと言葉が重複していたり、変な言い回しだったりがとても多い。
でも、これは文章向上法ではないような気がする。文章を書く際の、視点の持ち方の訓練ではないだろうか。絵を描く時に、まず構図を決める。その構図の決め方を、自分の好きな、一通りの普通のものにしてしまわないために、様々な構図を試してみる。まだその途上だと思う。
少なくとも、私は今までの自分にはない構図を大分見せて頂いたと思っている。
[変更] [削除]

[5] 振り返れば、ズレズレ?
投稿者:バーディーナムナム  日付:2007/6/12 02:09 
はじめて書こうと思って書いた文章の内容が、レッスン3で書いた「空のこと」でした。

書ききったとき、子供の頃に空を見つめていた時と同じような陶酔感が得られました。このまま浸っていたいと思えました。目の前に空もないのに、想像力でここまで陶酔できることが分かり、もっと書きたいと思うようになりました。

今回、レッスン1〜3で両親の性質、自分の性質を探ったことで、自分の求めているものがクリアになってきて、自分自身の鍛錬すべき点が見えてきました。

つまり、私が求めているのは、心の自由さ、人や物との一体感、トランス状態。
伸ばした自分の手が地面の延長と化し、眼前に空が迫り一体化したときの恍惚感。

それを得るためには、ひとまず意志を強く持たなければならないこと。素直になって、柔かくなること。

というわけで、私にとって、レッスン7の独白体は旬な課題でした。テープレコーダーに友人の話を録音しそのまま書き取ったのは、とても新鮮な作業でした。

人や物に対するとき、その懐に入り込む感覚というか、溶け込む感覚というか……。
何かに出会ったら、自分をその物に変容させようと努めることが、とにかく楽しい。対峙した人や物をもっともっと感じることがこれからの課題ということも、言葉のクロッキーで再確認できました。

文章自体は、「言葉のクロッキー」に関係なく、書いている量が圧倒的に少ないので、全く上達してません。だから静物描写、空間描写は難しかった。そうして微妙に毎回、課題とズレていることを書いているような……(今回も)。
[変更] [削除]

[4] 悩む
投稿者:dawn  日付:2007/6/10 22:49 
1日の行動を描写するlesson 04の作品例は、鮮やかすぎてめまいがした。半日にも満たない行動しか書けなかった自分には思いつかない書き方だった。課題に忠実に書こうとするとこうするしかないのかも、と思ったり、ほとんど忘れていた「行間」ということに気づかされたり、とにかく圧倒された。部屋を描写するlesson 05はこれを踏まえてやってみたが、やっぱり部屋の半分も書けず、これまた見事な作品例に打ちのめされた。

うまく書けない理由は自覚している。「特別創刊号」でいう「発酵」が足りないのだ。そして、400字という分量をいまだに把握していない。書こうと決めた内容が400字以内に収まるのか余るのかわからないまま書き始めるので、どうしても「書きながら考えて」しまう。負担は少なくてすむが、でもこれでは書く前に考えるという習慣が身につかない。

また、時間制限にもいい加減だった。時間を計り忘れて、「あと大体20分ぐらいかな」と途中で適当に調整したりしていた。

さらに、ときどき課題をきちんと理解していなかった。lesson 08のナンセンスの課題が特にそうだった。何かヒントがほしいと思い、(これもルール違反かもしれないのだが)ナンセンスに関する本を少し読み、それから取り組んだにもかかわらず、改めて課題文を読んだとたんに本で得たことがすっかり飛んでしまい、結局そのときの自分の愚痴っぽい心情を「自動筆記」してしまった。

文章上達以前の段階で、こんなにつまづいている。あいさつや笑顔という、コミュニケーション以前の段階でつまづいているふだんの自分がこんなところにも投影されている……。

そもそも、なぜ「言葉のクロッキー」をやろうと思ったのだろうか。文章上達のためでもあるが、書くことで自分の内面を見つめたい、ということもわたしのなかではかなりの割合を占めている。だから、lesson 03までの課題がわたしにとっては重要であるに違いない。これらについてはもう一度、やり直したほうがいいような気がする。その場合、やはり400字以内30分で取り組むべきか。掲示板などに発表することは考えず、とにかくとことん突きつめてみるべきか。それとも発表して読んでもらった方がいいのか。その方が文章も、ひょっとしたら自分も磨かれるのか。それとも、そこまでしなくていいのか。こんなふうに悩むこと自体が大事なのかもしれない。

(ちなみにこの文章もあと少しというところで30分がすぎ、そのあと推敲していたら全部で55分ぐらいかかってしまいました。)
[変更] [削除]

[3] 感想
投稿者:まなぶ  日付:2007/6/10 19:24 
今までの課題の中で一番面白かったのは、モノローグだ。
最初のものは、書いた後しばらくして読み返してみると、家人の独白ではなく、まるで何かの小説の一部を引き写したもののようだった。これではまずいと思った。ありがいことに、もう一度同じ課題が出た。次のものでは“誰かの小説”のような臭いは消えたと思う。だが、どうしても観察できなかった部分を自分の意識で補完してしまう。自分は“誰か”になることは出来ないものだ。だが、観察することによって、自分の思考の癖や意識の流れからもっと遠く離れることが出来るのではないか。

苦しかったのはナンセンス、自動筆記だった。「考えず、浮かんだことを書け」とはあったが、“考えずに書く”というのはどういう事だろうか?とまず考えなければならなかった。考えずにいると自分の中の言葉は、現状の五感に左右されてしまう。そうした現状まで含めて書いたが、送られてきた解説と作品例を読んで、ちょっと違ったなと思った。どうやら、そうした五感投入の流れを閉じ、あるいは遮断し、沸いてくる言葉を追いかけるようだ。そして改めて書いたものを投稿したのだが、ルール違反だったかもしれない。

「解説」、そして「作品例」もとても重要なものだと思う。「解説」を読むと、自分では分らない欠点が見えてくる。「作品例」を読むと自分の文章がとてもつまらないものに思えてくるが、その分、自分には欠けていた要素、観点を見出すことが出来る。そしてようやく色々と気付く。

まず自分を書く対象から逸らさない事だ。自分の性質を書くといった課題の解説では、「読んで面白い」ものを書くのではないという助言があった。この時私は自分の性質を正面から書くのを避けてしまっていた。気づいてはいたが、受けに走ることで自分を甘やかしたのだと思う。逃げない事が大切だ。

次に、対象を限定すること。部屋の描写の課題の作品例は素晴らしかった。「多様なアプローチ」がある中で、テーマが一つに絞られ、作者の視点が固定されている。なるほどなあ、と唸った。多様で捕らえがたい物事を切り取ること、また切り取る面を選択することの重要さ。私が前回書いた文章は、この作品に影響を受けたものだ。(街の描写になっていないのではないかという懸念もあるが)。

自分の書いたものを振り返って読んでみると、かなりすっきりと整理されたものになった気がする。統一感も出て来たのではないかと思う。
[変更] [削除]

[2] 振り返って
投稿者:tomato  日付:2007/6/10 13:05 
 父親の性質、母親の性質を書くことによって、父親の嫌な性格のほとんどが自分にあること、また母親に対しては強い嫉妬心を持っていることがわかりました。
 他人のモノローグという課題は、どうすればいいのか見当もつかないぐらい難しく思いました。
 描写というのを初めてやりました。町の描写の時に、結局描写というより、自分の思いを書いてしまい、外してしまいました。
 「文章が上達」どころか、「こんな筋肉もあったんですね。あんな筋肉もあったんですね」ということに気付かされることの連続で、色々な遊び方を教えていただいているようで、あと約八カ月、これからいったいどんな課題が与えられるのか非常に楽しみです。
 「他人のモノローグ」の課題で気付かされた「他者の心の中」「他者」という課題は、大きなかたまりになって、ほとんど手つかずの状態で、心の中に存在するようになりました。
[変更] [削除]

[1] もう一度
投稿者:kkhh  日付:2007/6/10 08:43 
モノローグ編がとても難しかった。記憶編、実体編ともに難しかった。実体編についてはパスしてしまった。何も書けなかったからだ。書くために何もしなかったというほうが正しいか。他人について書くことが難しいとはどういうことなのか考えてしまった。他人の事が気になるし分析的に見もしていたのだけれど、書けなかったということは、感じることと書くことの違いなのかも知れない。感じていることを感じているままに書くことと、感じていることを感じを抜いて書くことの違い、その難しさ、簡単そうで簡単ではないまどろっこしさ、素描することとサラリと書くことの違い、考え続けることの難しさ、主観客観のバランスの均衡点、色々と考える。
でも、クロッキーを始めたのはまず手を動かせではないけれど、まず書いてみようということだったような気もする。
とにかく9つのレッスンを終えてみて、書いたものを振り返ってみると何も書いていないような気もしてくる。レッスンになってんのかなってないのか今のところ実感はない。取り組み方の問題か?
問われたことを問われてたまま書く。サラリと書き捨てるのではなく。考えて考えてそしてスッと書いてみる。そのように取り組んでみようと思う。
なにを今更のようだけれども、なんとなくクロッキーの意味がわかって来た様な気がする。
http://blogs.yahoo.co.jp/y_madaki
[変更] [削除]


前のページ  次のページ
[WebNote Clip]